あたしが『わたし』になるには、きみが知らない世界ぜんぶ必要で。
花屋さんで 鬼灯(ほおずき)が売っていて、そういえばもうそんな時期なのかと驚いた。
20年前の あの頃、母親が病院にわたしを連れて行かなかったことが起因で死にかけて入院したのも鬼灯(ほおずき)の季節だった。
病室に一度だけ見舞いに来た母親が、「いまから父親と旅行だから」と言い捨てていったのを覚えている。それは全身麻酔から覚めた翌日のこと。
わたしは麻酔に弱い体質でなかなか目覚めず大変だったらしいのだけれど、母親はわたしの心配より自分の娯楽が優先だった。
それは父親もおなじこと。割れ鍋に綴じ蓋。
父親も父親で賭事で借金した挙げ句、自殺未遂する馬鹿だった。
そんな馬鹿が死にきれず生き残ったものだから、わたしの20代は その介護に追われた。
借金返済で家は売り払い、叔父の好意で田舎に身を寄せたが 父とおなじくらい散財癖のある母親の金遣いは変わらず。
その上、父親の世話をわたしへ押し付け わたしへ暴力まで振るっていた。
仕事先は告げずに、地道にお金を貯めて そうして家を飛び出したのが4月のこと。
そして子犬くんとの出会いに繋がってゆく。
子犬くんは、わたしの体の不自由を知ってはいるけれど、それに至る真実は知らない。
わたしの生い立ちも知らない。
植物が好きなのに、唯一 ほおずきだけが苦手であることも知らない。
☆☆☆☆☆
子犬くんが望んだのは、身近にいて可愛らしくて子供をたくさん産んでくれそうで、自分の趣味に理解があって寄りかからない女の子。
デートを何回か繰り返して、子犬くんから告白して付き合って そのうちに結婚…みたいなストーリー。
そんな平凡なしあわせを実行できるのは、日だまりで育った人だけだ。
桜井亜美さんのツキハギ姫と波乗り王子に出てくる主人公みたく、わたしは好きになったらぜんぶ欲しくなってしまうし 自分の壁を解き放ったら最後。
ツキハギが綻んで中身が流れ出し、ただの布切れになってしまう。人間になり損なったなにか。
わたしを形成するのは、子犬くんが知らない世界ぜんぶかき集めなければ出来あがらない。
だからきっと平行世界のまま。